オンラインコレクション展Ⅰ スタッフセレクション!− おすすめ作品たち
令和8年度 米子市美術館 オンラインコレクション展Ⅰ
スタッフセレクション!-おすすめ作品たち
ごあいさつ
米子市美術館は、令和8年8月末まで休館しています。この間も皆さまが当館の収蔵品に親しんでいただく機会を創出するため、当館ホームページ上において「オンラインコレクション展」を開催いたします。今回の第Ⅰ期では、2,000点を超す収蔵品の中から当館スタッフが選んだおすすめ作品を、選出コメントとともに紹介します。職員それぞれの視点から作品の新たな魅力を発信し、より親しみを持っていただける契機となりましたら幸いです。
| 目 次 |
会期:2026年 4月6日(月)~ 6月29日(月) ※本展はオンライン展覧会です。期間中休館のため館内に入ることはできません。
ごあいさつ 1:自然の表情 2:作品に宿る物語 3:独自の表現 鑑賞ワークシート
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1:自然の表情
本章では自然をモチーフとし、作家独自のまなざしが反映された作品を紹介します。色彩、光、空気といった作品を構成する多様な要素にぜひご注目ください。
早川幾忠《加起津盤多圖》1959年 紙本着色 米子市美術館蔵
《スタッフのここがおすすめ》
芸術の神髄を探求する早川幾忠は「花を多く描くようになって考えたことは、花の色でもって人の目が眩むようにしてやろう」と。カキツバタの花びらや葉の滴るような色彩に、魅せられました。そして躍動的な書は惚れ惚れします。(AO)
《解説》
文人・早川幾忠(1897〜1983)は本作のように同画面に書画をあわせた作品を多く残しています。本作はまず画を描き、5月に咲き誇るカキツバタからホトトギスを連想して、それを詠んだ万葉集14首と、和漢朗詠集「池邊の別業…」1首を書き添えています。早川は全てそらんずることができたことからも、和歌への深い愛着がうかがえます。また自著において、「畫(画)は、塗らないで描け。かくとその底に線がある。タッチと線は同じ。色をつけるにも、塗るつもりでなく、かくつもりでつけろ。塗るつもりだとペンキ屋の為事(しごと)。かくつもりだと畫家の為事。」と自身の絵画観を示します。本作は、書と画の響き合いの中に、文学への造詣と独自の表現意識が感じられます。
香田勝太《キューガーデンの石楠花 英国(しゃくなげ えいこく)》1926〜29年
油彩・キャンバス 米子市美術館蔵
《スタッフのここがおすすめ》
柔らかな色合いの石楠花が咲き誇り、木々の向こうには塔が静かにたたずんでいます。幻想的な雰囲気の中に、庭園の落ち着いた空気と穏やかな時間の流れを感じられ、いつまでも眺めていたくなるような美しさに満ちています。(AD)
《解説》
香田勝太(1885〜1946)は日野郡根雨原村(現・西伯郡伯耆町)生まれ。東京美術学校洋画科を卒業しました。1926年から1929年にかけて渡欧し、フランスを拠点に多数の風景画を制作します。帰国後には滞欧作品を発表し、高い評価を受けました。本作は滞欧中にイギリス・ロンドン南西部の王立植物園キューガーデンを描いたものです。手前に広がるピンク色のシャクナゲの群生が画面の中心を成し、奥には黄や赤色の花々が描かれ、画面にアクセントを与えています。生涯にわたり花卉(かき)を描き続けた香田にとって、異国の地においても一貫した自然への深い愛着がうかがわれる作品です。
藤田苔巌《青緑山水図》1904年 紙本着色 双幅 米子市美術館蔵
《スタッフのここがおすすめ》
ぜひ緻密な描写をみていただきたい作品です。細部まで描き込まれた画面は、観る者に没入感をもたらします。また色彩も印象的で、特に部分的に置かれた鮮やかな青が効き、幻想的な雰囲気を一層強めています。(M)
《解説》
藤田苔巌(1864〜1930)は香川県仲多度郡多度津町生まれ。父・台石(たいせき)に画を学び、のちに王冶楳(おうやばい)に師事しました。伯耆・出雲地方を遊歴したのち、大阪や奈良に移住します。1905年「第5回内国勧業博覧会」に《耶馬渓図(やばけいず)》を出品し、二等褒状を受けています。画題を求めて各地を遊歴しながら詩書にも親しみ、山陰滞在中には「山陰漢詩会」に参加しました。とりわけ山水画を得意とし、青緑図を多く残しています。本作の左幅は「携琴訪友図」、右幅は「観瀑図(観眺図)」であり、彼の遊歴で得た自然観や文人的趣味が表れています。
2:作品に宿る物語
作品には「物語」があります。それは制作背景であったり、モチーフそのものであったり、あるいは作品に直接的にあらわれているものもあれば、そうでないものもあります。そんな物語を感じてほしい作品を紹介します。
戸田海笛《天籟》1912年 石膏 米子市美術館蔵
《スタッフのここがおすすめ》
羽織り袴、刀をさして、パリの街を闊歩したという豪放で大胆な戸田海笛が、本作では実に繊細で優美なたたずまいを持つ天女像を表現しています。少年のころの恩人を想い《天籟》に託した海笛の作品にはいつも物語があるのです。(AO)
《解説》米子市に生まれた戸田海笛(1888〜1931)は、国際的に活躍した彫刻家です。「海笛」という号は、郷里が海に近く、「死しても鳴る」との意を込めたものです。本作《天籟》は、天女が笙を持ち、うつむき腰をおろしている姿を表しています。「山陰鉄道開通記念全国特産博覧会」に出品され、銀賞牌を受けました。制作にあたっては、海笛が恩を受けた人物をモデルとし、その俳号「天籟」を作品名としており、海笛の情深い人柄もうかがえます。気品と風格を備えつつも、観る者の心を和ませる点に本作の魅力があります。
植田正治《ボクのわたしのお母さん》1950年
ゼラチン・シルバー・プリント/ヴィンテージ・プリント 米子市美術館蔵
《スタッフのここがおすすめ》
2人の子どもがお母さんの取り合いをしています。後ろの子どもは、その様子を見て「またやってるよ」とあきれているかのようです。お母さんは「そんなに引っ張らなくても話を聞くから~」と笑いながら話しているのでしょうか。子どもをいつもあやしているお母さん。そんな親子の日常が見えてきそうですね。(I)
《解説》
植田正治(1913〜2000)は境港市生まれ。1931年に米子写友会へ入会しました。翌年上京して、帰郷後は営業写真館を開業します。1937年頃から手掛けた群像演出写真で注目を集めました。本作は米子市弓ヶ浜で撮影されたもので、妻と子どもたちを被写体としています。戦時中は自由な制作が制限されましたが、戦後には意欲的に活動を再開しました。戦前に確立した、砂浜で人物を配置する独自の演出写真の手法に、「昭和の家族」という主題を重ねた本作は、平和な家族像の象徴として広く受け入れられ、植田の代表作となっています。
杵島隆《老婆像》1950年
ゼラチン・シルバー・プリント/ヴィンテージ・プリント 米子市美術館蔵
《スタッフのここがおすすめ》
遠くを見ている眼、その顔に広がるしわは、長年人生を歩んできた貫禄。私はこの作品を見ると、昔、祖母が田んぼで農作業をしていて、一息ついている時に考え事をしている表情と重なって見えました。(I)
《解説》
杵島隆(1920〜2011)はアメリカに生まれ、1924年に米子市大篠津町に移ります。『カメラ』1950年5月号の月例で特選となった《老婆像》は、ソラリゼーション(現像中に光を当てることで明暗を逆転させる技法)の技法による独特のマチエールを活かした作品です。同欄の評者であった土門拳(1909〜1990)に高く評価され、杵島の存在を広く知らしめる契機となりました。祖母の顔をクローズアップで捉えた本作について、土門は「マチェールに対する感覚の鋭さ」と「適確なアングル」を称賛し、さらにシュルレアリスムの写真家・マン・レイ(1890〜1976)の作品との類似性にも言及しています。
石津良介《こども(冬のアルバム 作品11)》1937年
ゼラチン・シルバー・プリント/ヴィンテージ・プリント 米子市美術館蔵
《スタッフのここがおすすめ》
登場人物の男の子3人は、皆同じ方向を向き、一生懸命何かを見つめています。遊び盛りの子どもたちをモデルに、この瞬間を捉えるのは至難の技です。作家のカメラマンとしての信念と技術力がうかがえる作品です。(U)
《解説》
3人の子どもが、一点を見据えています。おもちゃを手にし、静観な面持ちで佇む様子は、どこかチグハグでユーモラスがあり、観る者の想像を掻き立てる作品です。石津良介(1907〜1986)は、岡山県岡山市生まれ。1932年慶応義塾大学を中退し、岡山に帰郷。この頃、写真雑誌に子どもの写真を発表し、一躍脚光を浴びました。「こどもシリーズ」は、季節で移り変わる子どもたちの姿をとらえたもので、作品数は100にのぼります。石津は本作について、「突然、『飛行機だよ』といふ(う)ので、なにもかも投げ棄てゝ(て)一齋に空を見上げた所をパチリと失敬したものです。」と語ります。その場の空気感や温度、話し声までも聞こえてきそうな躍動感溢れる作品です。
3:独自の表現
素材やジャンルの選択によって作品の表現も大きく異なりますが、辻晉堂のように複数の分野を横断する作家も少なくありません。本章では作家によってユニークな表現とその多様性を紹介します。
國頭繁次郎《平和を乱すもの》1954年 油彩・キャンバス 米子市美術館蔵
《スタッフのここがおすすめ》
戦争体験を胸に秘めた画家が、独自の技法で生み出した重厚な作品です。苦悩する人々や躍動する馬の姿から、戦争への怒りと人間性回復への強い願いが感じられます。画面の細部までじっくりご覧ください。(K)
《解説》
國頭繁次郎(1916〜1969)はシベリア抑留を経験し、極寒の地で4年間にわたる過酷な生活を強いられました。そのため本格的に絵の制作に取り組み始めたのは、30歳を過ぎてからです。故郷の淀江(現・米子市淀江町)に居を構え、毎号欠かさず購読していた『みづゑ』等の美術雑誌に掲載されている作品を参考にほぼ独学で制作を行います。絵の具にセメントや砂、灰などを混ぜ、重厚で独自性ある絵肌を創り出しました。不条理な戦争に対する憤りが込められた画面は、アンリ・ルソー《戦争》やパブロ・ピカソ《ゲルニカ》といった戦争の惨禍を主題とする作品からの影響がうかがえます。
辻晉堂《カラカサのオバケ》1974年 陶彫 米子市美術館蔵
《スタッフのここがおすすめ》
ずんどうな体に愛嬌ある表情をもつオバケの姿が印象的な作品です。素朴な造形の中にユーモアが込められ、怖さよりも親しみやすさが感じられます。辻ならではの発想と遊び心を楽しめます。(K)
《解説》
辻晉堂(1910〜1981)は日野郡溝口町二部村(現・西伯郡伯耆町)生まれ。本作以前、登り窯を使った大型の陶彫作品が中心でしたが、昭和40年代の公害問題に端を発し、登り窯の使用が困難となったことで制作を断念します。のち《寒山拾得》のような版画作品を発表していきます。その後電気窯の普及により、1973から1974年にかけて自宅アトリエに電気窯を設置し、陶彫作品の制作を再開します。作品は小型化し、表現も素朴でユーモラスなものへと変化しました。本作はそうした転換期を象徴する作品で、埴輪や土偶を思わせる愛らしい造形が特徴的です。
辻晉堂《寒山拾得》1967年 リトグラフ 米子市美術館蔵
《スタッフのここがおすすめ》
辻晉堂は、陶土を用いた彫刻家として、全国・世界に名をとどろかせた作家ですが、実はその版画作品はあまり知られていません。彫刻家・辻晉堂の平面世界での表現方法と、作者の一貫して変わらない、普遍的なコンセプトが感じられる本作を選びました。(U)
《解説》
「寒山拾得」とは、中国唐時代(7世紀ごろ)天台宗の国清寺の近くの洞窟で詩を詠み、風狂に暮らしていたと伝えられる僧です。自身も僧侶であった辻晉堂もこの生き方に感銘を受け、同名の作品を多数残しています。本作は、その素朴な画面構成からも、まじりっけのない、作者の真っ直ぐな精神が感じられます。辻は、制作で行き詰まっていた際に、尊敬する僧から「忘れるだけ忘れてしまって、そして残ったものを表しなさい」という助言を受け、その言葉を胸に制作を続けました。本作が制作された当時、辻は57歳、彫陶作品の制作も落ち着いていた時期でした。この頃、辻は洗練され、無駄のない単純化された世界を表現しようとしていたと考えられます。
木山義喬《三人の男》制作年不詳 木炭 紙 米子市美術館蔵
《スタッフのここがおすすめ》
こちらに立ちはだかるがごとく3人の男たち。3人は体格、表情、ポーズの描き分けが巧みで、個性際立つ悪役キャラクターのような魅力があります。それぞれどんな性格なのだろうかと思わず空想してしまいます。(M)
《解説》
木山義喬(1885〜1951)は日野郡日野町生まれ。1904年に渡米して、サンフランシスコ美術学校夜間部で学び、人体教室において首席となりました。渡米経験をもとに描いた『漫画四人書生』(1931)により、漫画の先駆者としても知られます。本作は明快な陰影表現が特徴で、画面に強い印象を与えています。優れた人体デッサン力が発揮される一方で、表情や体型にはやや誇張された、漫画的でユーモラスな要素も持ち合わせます。精緻な人体描写とキャラクター性が融合した本作は、木山の個性がよく表れています。
● じっくりみてみよう!鑑賞クイズ
配布期間:会期中[4月6日(月)〜6月29日(月)]
どなたでもご使用いただける鑑賞ワークシートです。オンライン展覧会とあわせてお楽しみください。
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じっくりみてみよう!鑑賞クイズ (332.1 KB)