オンラインコレクション展Ⅱ 香田勝太と自然

令和8年度 米子市美術館 オンラインコレクション展Ⅱ
香田勝太と自然

ごあいさつ

米子市美術館は、令和8年8月末まで休館しています。この間も皆さまが当館の収蔵品に親しんでいただく機会を創出するため、当館ホームページ上において「オンラインコレクション展」を開催いたします。第Ⅱ期となる「オンラインコレクション展Ⅱ 香田勝太と自然」では、特別企画展「没後80年 香田勝太展−自然が彩る記憶」(会期:2027年2月14日〜3月22日)の開催に向け、当館所蔵の香田勝太作品の中から、色とりどりの自然を描いた作品を紹介します。香田の自然への愛情と、穏やかで希望溢れる表現を、ぜひお楽しみください。  

《香田勝太略歴》
1885年鳥取県日野郡根雨原村(現・西伯郡伯耆町)に生まれる。鳥取県立第二中学校を経て、東京美術学校西洋画科入学。美術学校では、黒田清輝の指導を受けると同時に、授業の一環として竹内栖鳳に日本画を学ぶ。同級生に藤田嗣治、岡本一平、中井金三らがいた。1910年美術学校卒業ごろから、油絵の具で屏風に日本画風の花卉を描く「油絵屏風」で注目を集める。同年第4回文展に初入選し、以後帝展、新文展に出品を重ねる。1926年9月14日、留学のため渡仏。パリ到着後しばらくして郊外のヴェトイユに移り暮らす。また滞仏中はサロン・ナショナル、サロン・ドートンヌに出品。1929年帰国。1931年女子美術専門学校教授就任。戦争の激化に伴い1944年郷里に疎開し、辻晉堂、笹鹿彪、大江賢次らと「麓人会」を結成。1946年疎開先で死去。     

目 次

 会期:2026年 76日(月)~ 831日(月)

 ※本展はオンライン展覧会です。期間中休館のため館内に入ることはできません。

 

 ごあいさつ

 略歴

 1:伝統からの学び

 2:故郷への思い

 3:スケッチに残された愛情

 4:自然へのまなざし

 鑑賞ワークシート

 

 ※作品画像の無断転載・無断使用を固く禁じます。

1:伝統からの学び 
香田は洋画家でありながら、日本の伝統絵画にも強く関心を寄せ、その表現を作品に取り込もうとしました。油彩でありながら日本画的な装飾性を併せ持つ独自の作風は、こうした学びのなかから生まれました。

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香田勝太《秋草》1959年 制作年不詳 油彩・キャンバス 米子市美術館蔵

画面のほどんどを白と黄の菊が覆っていますが、左上から右下へ向かって紅葉したナラカシワの葉が配され、さらに右下には鶏頭が描かれています。両者の鮮やかな赤が金地に映え、画面に印象的なアクセントを与えています。一見すると日本画のような構成や装飾性を思わせますが、実は油彩で描かれた作品です。金地に草花を配し、樹木を大胆に配置するとともに、秋草を題材としている点からは、日本美術の伝統様式の影響もうかがえます。

 

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香田勝太《燕子花》制作年不詳 紙・着色 米子市美術館蔵

当館所蔵の香田作品には、燕子花の素描が複数残されています。また、《初夏の花卉図》(個人蔵・倉吉博物館寄託)など、屏風に燕子花(かきつばた)が描き込まれる例も見られます。《秋草》(当館蔵)同様、琳派の影響を感じさせます。実際、香田が琳派、四条派、南画の研究を行っていたことが、同郷の作家らによって語られており、中でも尾形光琳に傾倒し、印を似せるほど影響を受けていたようです。香田が美術学校を卒業する1910年前後の美術界では、西洋近代美術の新しい表現が紹介される一方で、伝統的な日本絵画への関心も高まり、画家たちは新たな日本画表現を模索しました。香田の油彩と日本画的な装飾性を融合させた作風も、このような時代的背景の影響下にあったと考えられます。



2:故郷への思い 
香田にとって生まれ育った、自然あふれる郷土は強く思い入れのある場所でした。東京美術学校進学後は長く東京へ住みますが、帰省した際には故郷の風景を描くだけでなく、植物を持ち帰って自分の庭に植えるなど、常に郷土の自然への深い愛着を抱き続けました。この愛情は作品にも反映されています。

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香田勝太《猫と芍薬》制作年不詳 油彩・絹 米子市美術館蔵

美術学校で同級生であった藤田嗣治(ふじた・つぐはる/1886〜1968)は、香田について「学校を出る時分から、東洋の花卉の絵を油絵で日本屏風等に描くことを発明した」と記しています。本作もそうした油彩による屏風作品の系譜に連なるものであり、画面は2枚の絹地によって構成されています。香田は帰省のたび、大山の裾野に自生する草花を東京・田端の自宅へ持ち帰り、自ら移植して育てていたといいます。この豊かな自然あふれる《猫と芍薬》に描かれた「庭」も、愛する花に囲まれる場所であるのと同時に、故郷の自然を身近に留めておける場所だったのかもしれません。

 

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香田勝太《戸上山頂より日野河口を見て》1915年 油彩・板 米子市美術館蔵

戸上山(とがみやま)は、日野川西岸にある小さな山です。鳥取藩ゆかりの絵師・片山楊谷(かたやま・ようこく/1760〜1801)が 《戸上山からの大山眺望》(1799年、米子市立山陰歴史館蔵)を描いており、大山眺望地として重要な地であったことがうかがえます。 本作は大山ではなく日野川河口方面を望んで描かれた作品です。日野川は香田の出身である伯耆町を流れる川であり、彼にとって身近な存在であったと考えられます。香田と同じく麓人会創立会員の一人である笹鹿彪(ささか・ひょう/1901〜1977)は、本作を見た後実際に戸上山に登り、作品に描かれた風景と対比したり、当時の米子市尾高町の今井書店に展示してあった本作をよく見に出かけた思い出を書き残しています。

 

3:スケッチに残された愛情 
香田の数多くの素描には植物の色彩や形についての詳細な記録が残され、自然を徹底的に観察する姿勢が感じられます。また、ときにはいくつもの植物の名前が、ときには植物に関する詩句が記されるなど、素描から自然に対する深い愛情が感じられます。

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香田勝太《海棠》制作年不詳 紙・着色 米子市美術館蔵

当館は香田の約500点にも及ぶデッサンを収蔵しています。その大半が花のスケッチです。大山をこよなく愛した香田はたびたび帰省して大山を散策し、また東京では植物園を訪れて花卉に絵の題材を求めました。この作品には、本画制作の資料とするため、「光ノ葉 二枚位朱紅 次葉 キ除鮮緑 大葉 濃緑 鮮紅」などのメモ書きが残されています。本作以外にも素描作品にこのような書き込みは数多く見られ、自然への深い観察と作品制作の過程を、うかがい知ることができます。

 

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香田勝太《菊、吾木香》制作年不詳 紙・着色 米子市美術館蔵

菊と吾木香(われもこう)などが描かれた本作には、スケッチとともに右端にメモ書きが残されています。「採菊東籠下 悠然見南山」「菊づくり汝は菊の奴哉」「菊の香や奈良には古き仏たち」「黄菊白菊、そのほかの名はなくもかな」「雨荒深院菊」「菊為重陽冒雨開」といった菊に関する詩句が並び、自然への深い愛情と文学的素養がうかがえます。特に与謝蕪村が詠んだ「菊づくり…」は、菊作りに熱中している人の姿を親しみを込めて眺めた句です。大山から植物を持ち帰り庭をつくるほど草花に心を寄せた香田自身を表しているようにも思われ、どこか微笑ましさを感じさせます。

 

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香田勝太《雨中山櫻》紙・着色 米子市美術館蔵

山桜がスケッチされた本作。上部には「チューリップ」「鈴蘭」「すみれ」「たんぽぽ」「マーガレット」「ひまわり」「ヒヤシンス」「春蘭」「木蓮」など、植物の名前がおよそ80種近くにわたって列挙されています。愛着とも執念とも受け取れる、香田の植物への強い思い入れを感じずにはいられません。「雨中」山桜と題されていますが、山桜の上に数多くの植物名が書き込まれた様子からは、まるで花の名が雨のように降り注いでいるかのような光景が思い浮かびます。

 

4:自然へのまなざし 
伝統に学び、故郷に思いを馳せ、観察を続けた香田は生涯にわたって自然を描き続けました。そのまなざしは自然の美しさだけでなく、その生命力にも向けられています。香田の自然に表れた希望は時代を超えて現代の私たちにももたらされています。

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香田勝太《野の花》1926〜1928年 油彩・キャンバス 米子市美術館蔵

野の花畑が画面に凝縮されたような華やかな印象を残す作品です。香田は1926年から29年にかけて渡欧し、絵画を学びました。本作も滞欧中に描かれたものです。作品の裏面には「パリ近郊ヴェトイユにて」と記されています。ヴェトイユはセーヌ川下流に位置し、野の花が一面に咲きほこる美しい景観で知られ、日本人画家たちもよく訪れた写生地でした。香田は咲き誇る野の花を抱えきれないほど摘んでアトリエへ持ち帰り、それらをモチーフとして本作を制作しました。1993年には、≪野の花≫を陶版で複製した記念碑が、地元である桝水高原に設置されました。郷土の文化振興に尽力した彼の作品は、人々の心に残り続けています。

 

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香田勝太《漁港》1940年 油彩・キャンバス 米子市美術館蔵

華やかな花卉図を多くご紹介してきましたが、香田は雄大な自然も描いており、本作もその一例です。額裏には「上総大原」というラベルが貼られており、おそらく現在の千葉県いすみ市周辺を描いた作品と考えられます。本作は神武天皇即位2600年を記念して開催された「紀元二千六百年奉祝美術展覧会」への出品作です。穏やかな草花の表現とは対照的に、切り立った崖や広大な空と海が表されます。また花卉図には見られない強い陰影表現からは、日差しの強さやその場の空気感も想起させます。1940年という晩年に描かれた作品ですが、その気迫とともに画風の幅広さをもうかがわせる作品です。

 

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香田勝太《雪、水仙》制作年不詳 紙・着色 米子市美術館蔵

本作には、雪と水仙を題材とした冬の情景が描かれます。水仙にはずっしりと重みを感じさせる雪がのしかかっていますが、一方で葉はピンとのび、雪に負けない生命力が表れています。そして暗い地面からのぞく黄色い副花冠は鮮やかで、春への息吹を思わせます。香田の自然への温かなまなざしと、そこに見出した希望が象徴されたような作品です。香田は「敗戦の虚脱な人心の世の中に潤いと希望を与えよう」と郷土で麓人会を結成しました。香田の描く自然は、時代を超えて私たちに「潤いと希望」を感じさせてくれるようです。

 

● 鑑賞シート:香田勝太になってスケッチしよう!
配布期間:会期中[7月6日(月)〜8月31日(月)]
どなたでもご使用いただける鑑賞ワークシートです。オンライン展覧会とあわせてお楽しみください。
▼こちらをクリックするとPDFが開きます
Icon 香田勝太になってスケッチしよう! (596.9 KB)

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